量子誤り訂正 — 壊れやすい量子情報を守る

量子状態は放っておくと環境との相互作用でミリ秒〜マイクロ秒のうちに壊れます。しかも量子情報はコピーが禁止されている。それでも誤りを訂正できる — その驚くべきからくりを、反復符号から表面符号まで動かしながら追いかけます。

1. 敵を知る — デコヒーレンス

古典ビットの誤りは「0が1に化ける」の1種類ですが、量子ビットの状態はブロッホ球上の連続的な点なので、誤り方も連続的です。環境との相互作用でおもに2つの劣化が起きます。

下のデモで、状態ベクトルが位相をランダムに乱されながら縮んでいく様子を観察してください。ノイズ強度を上げると寿命が一気に縮みます。

デコヒーレンス — 量子情報は放っておくと壊れる
水色の矢印=量子状態。位相のランダムな揺れ(ジッタ)が積み重なって横成分が縮み(T2)、やがて |0⟩ へ緩和します(T1)。ベクトルが短くなる=重ね合わせの情報が失われた、という意味です。
注意 — 誤り率のケタが違う 現代のCPUではビット誤りは事実上ゼロ(宇宙線などでまれに起きる程度)。一方、2026年時点の最良クラスの量子ハードウェアでも2量子ビットゲート1回あたり 0.1〜1% 程度の誤りが残る。数千ステップの計算をそのまま流せば結果はほぼ確実にノイズに埋もれる。誤り訂正は「あれば良いもの」ではなく大規模量子計算の前提条件。

2. 複製禁止の壁と、それを回避する発想

古典の誤り訂正の基本は「同じものを3つ持って多数決」でした。ところが量子力学には複製禁止定理(no-cloning theorem)があり、未知の状態 |ψ⟩ を |ψ⟩|ψ⟩|ψ⟩ とコピーすることはできません。さらに、誤りを見つけようと状態を測定すれば重ね合わせ自体が壊れてしまいます。

この二重の壁を破る鍵が2つあります。

|ψ⟩ = α|0⟩ + β|1⟩   ⟶   |ψL⟩ = α|000⟩ + β|111⟩ 3量子ビット反復符号。|ψ⟩|ψ⟩|ψ⟩ のコピーではなく、CNOTで作る「もつれによる冗長化」である点が本質
POINT — シンドローム測定は状態を壊さない パリティ測定「Q1⊕Q2」は、α|000⟩+β|111⟩ に対しても α|010⟩+β|101⟩ に対しても確定した値(前者は0、後者は1)を返す。つまり測定結果は「どこで反転が起きたか」だけを教え、α と β の重ね合わせには指一本触れない。ここが量子誤り訂正の最大のトリック。

下のデモは3量子ビット反復符号の1サイクルです。「1ステップ進む」で手動実行もできます。ノイズ率を上げて、多数決が破綻する瞬間(2個以上の同時反転)の頻度を統計で確かめてください。

3量子ビット反復符号 — 符号化 → ノイズ → シンドローム → 多数決訂正
2つのパリティ (S₁, S₂) の組み合わせだけで「どのqubitが反転したか」を一意に特定できます(1個までなら)。2個以上同時に反転すると多数決が逆転して論理エラーに。それでも p が小さければ、符号化しない場合(誤り率p)より確率は下がります。
P(論理エラー) = 3p²(1−p) + p³ ≈ 3p² p = 10% なら約 2.8%、p = 1% なら約 0.03%。p が小さいほど符号化の利得は劇的になる(逆に p > 50% では悪化する)

ただしこの反復符号はビット反転(X誤り)しか守れません。量子特有の位相反転(Z誤り)も守るには、ビット用と位相用の検査を組み合わせた符号 — 歴史的にはショアの9量子ビット符号 — が必要です。その発展形が次の表面符号です。

3. 表面符号と閾値定理

現在の主流である表面符号(surface code)は、量子ビットを2次元格子に敷き詰め、隣接する数個ずつのパリティを繰り返し測定します。誤りが起きると、その両端のシンドロームが点灯し、点灯パターンをマッチング(ペアリング)することで誤りの場所を推定します。近接する量子ビットとの相互作用だけで動くため、実際のチップに載せやすいのが強みです。

表面符号の直感 — シンドロームの点灯とマッチング/閾値の存在
左=格子の模式アニメ(見やすさのため誤りの頻度は誇張表示)。赤=物理誤り、橙=点灯したシンドローム、緑=マッチングによる訂正。右=符号距離 d ごとの論理誤り率カーブ。p が閾値(約1%)より下なら d を上げるほど改善、上なら悪化する様子をスライダーで確かめてください。
POINT — 閾値定理 物理誤り率 p がある閾値 pth を下回ってさえいれば、符号を大きくする(符号距離 d を上げる)ことで論理誤り率をいくらでも小さくできる。表面符号の閾値は回路レベルで約1%と高く、これが主流になった理由。誤り訂正は「誤りをゼロにする技術」ではなく「物理誤りより速く論理誤りを潰すレース」であり、閾値はそのレースの分岐点。
pL ∝ (p / pth)(d+1)/2 符号距離 d の表面符号の論理誤り率のスケーリング。p が閾値の半分なら、d を 2 増やすごとに論理誤り率は約半分以下になる
注意 — 測定そのものも誤る シンドローム測定に使うゲートや測定自体もノイズを持つ。だから1回の測定結果は信用せず、何ラウンドも繰り返して時空間パターンとして復号する。さらに、訂正処理の途中で誤りが増殖しないように回路を設計する枠組みがフォールトトレラント(耐故障)量子計算。閾値定理は「FT設計+閾値未満の誤り率」という条件つきで成り立つ。

4. 代償 — 膨大なオーバーヘッド

閾値定理は「可能である」ことを保証しますが、タダではありません。実用レベル(論理誤り率 10−9 級)を目指すと符号距離 d は 20〜30 程度必要になり、表面符号では論理量子ビット1個あたり物理量子ビットがおよそ1,000個というスケール感になります。

オーバーヘッドのスケール感 — 論理1 : 物理1000
誤り訂正つきで意味のある化学計算や暗号解読をするには数百〜数千の論理量子ビット、すなわち数十万〜数百万個の物理量子ビットが必要と見積もられています。2026年時点の最大級マシン(物理数百〜千個規模)との差が、そのまま今後の開発ロードマップです。

5. まとめ

一歩先へ — 2026年の現在地 2024年末、距離7の表面符号で「符号を大きくするほど論理誤り率が実際に下がる(閾値未満での動作)」ことが超伝導実機で実証され、論理量子ビットの寿命が構成する物理量子ビットの寿命を超えました。イオントラップや中性原子でも十数個規模の論理量子ビットのデモが続いています。並行して、表面符号よりオーバーヘッドを大幅に減らせるqLDPC符号の研究が進行中。ただしどの方式も「数千論理qubitでのフォールトトレラント計算」まではまだ距離があり、各社ロードマップは2030年前後をその目標に置いています。